憲法・平和

2024年4月30日 (火)

「なごや平和の日」制定の意義を歪める不適切な市長発言の撤回を求める

 日本共産党名古屋市議団と同愛知県委員会は4月30日、河村たかし市長に対して、、「祖国のために命の捨てるのは高度な道徳的行為」など不適切な発言を撤回するよう以下の申し入れを行いました。

 河村たかし市長が4月22日の定例記者会見で、「なごや平和の日」制定に関連して、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為」と発言したことに対して、市民から批判の声があがっている。「なごや平和の日」は、「名古屋空襲慰霊の日」制定を求める請願を行った高校生たちなど市民が、悲惨な戦争の体験・記憶を語り継ぎ、平和の尊さを未来へつないでいきたいとの思いから制定されたものである。市長の発言は、市民のこうした思いを踏みにじるものであり、断じて容認できない。

 市長のこの発言は、「ベトナム戦争の時代は、日本は侵略戦争をやった犯罪国家と言われたが、しばらく経つとおかしいな、それは、ということになってくる」と述べた後に発せられたことからも、日本の侵略戦争を肯定・美化する立場からの発言であることは明らかである。しかも市長は、記者からの質問に答えて、学校現場において「なんで(日本が)アメリカと戦争をやったのか考えてみないといけない」と述べたが、これは「日本は正しい戦争をやった」という歪んだ歴史認識を、教育を通じて社会に持ち込みたいという思惑からのものにほかならない。

 さらに、河村市長は、「日本国憲法はアメリカに占領されたときにできた憲法。……今とは全然状況が違う」と平和憲法を敵視した上で、「日本の若者が血を流さないで、アメリカの若者は血を流してもいいというのは、日本にとって相当不幸なことを導く」と発言した。この発言は、敵基地攻撃能力の保有、5年間で43兆円の大軍拡など、アメリカいいなりに「戦争する国づくり」を進めている岸田政権のもとで、日本の若者を戦場に送り出すことを煽る発言だと言わなければならない。

 このように、市長記者会見での「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為」など一連の発言は、日本の侵略戦争を肯定・美化し、憲法9条改正、日米同盟絶対視という河村たかし氏の持論を吐露したものであり、思想信条・立場の違いを超えて名古屋空襲の犠牲者を悼み、平和意識の醸成を図ることを目的として制定された「なごや平和の日」の意義を歪めるものであり、行政の長としての資格が問われる極めて不適切な発言である。

 よって、河村市長に対して、「祖国のために命の捨てるのは高度な道徳的行為」など不適切な発言を撤回し、「なごや平和の日」制定の意義を市民に正しく発信するよう求めるものである。
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2023年11月10日 (金)

5月14日を「平和の日」に制定――名古屋市が方針

 11月9日に開かれた市議会総務環境委員会で名古屋市は、5月14日を「なごや平和の日」(仮称)に制定する方針を示しました。「平和の日」の制定は、名古屋空襲の犠牲者を追悼するとともに、悲惨な戦争の体験や記憶を後世に語り継ぎ、市民の平和意識の醸成を図ることを目的にしています。

 2018年11月に東邦高校の生徒会から市議会に、「名古屋空襲慰霊の日」制定を求める請願が提出されました。当時も私は総務環境委員でしたが、請願審査の口頭陳情で同校生徒会の会長さんが、「私たち若者が戦争の体験を語り継ぎ、命のバトンをつないでいきたい」と発言されたことが記憶に残っています。戦争体験者が少なくなる中で、「命のバトン」をつないでいく上で、「平和の日」を制定する意義は大きいと思います。

 この時の請願審査では、「慰霊の日」の制定という趣旨には賛同する立場からの発言が相次ぎましたが、63回に及んだ名古屋空襲でどの日を慰霊の日と定めるのかが悩ましい問題でした。5月14日は、昭和20年の空襲で名古屋城天守閣が焼失したこともあって、市が実施したアンケートでは数ある空襲の中で認知度が一番高くなっています。市の方針では、「平和の日」の事業は「平和の日を中心に」と、実施日を5月14日に限っておらず、実施主体は「市および市民」されています。名古屋空襲の慰霊を行っている団体が20ほどあるそうですが、1年を通した市民の取り組みも「平和の日」事業として位置づけるならば、別の日がよいと考えている人にも、「平和の日」を5月14日とすることに理解していただけるのではないかと思います。

 

2019年11月 6日 (水)

被爆者行脚――河村市長は「ヒバクシャ署名」に賛同を

 県内すべての自治体を訪問する「被爆者行脚」に取り組んでいる愛知県原水爆被災者の会(愛友会)が10月31日、名古屋市への要請を行いました。私も同席しました。愛友会の金本弘理事長代理は「被爆者行脚を52年間続けてきたが、名古屋市の回答はここ数年ほとんど同じ。被爆者の体験を聞いて、援護対策を前進させてほしい」とあいさつ。広島で被爆された沢田昭二名古屋大学名誉教授などが被爆体験を語りました。

 名古屋市への要請では、「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ署名)への河村たかし市長の賛同を求めましたが、市長は応じていません。ヒバクシャ署名が求めている核兵器禁止条約は、世界では70カ国が調印し、批准国は27カ国に広がっています。ヒバクシャ署名に署名した自治体首長は1173市区町村となり(9月10日現在)、政令指定都市では20市中16市の市長が署名。河村たかし名古屋市長は、署名していない数少ない市長の一人です。

 私も市議会の代表質問で署名への賛同を求めたことがありますが(2017年2月議会)、市長は北朝鮮のミサイル発射を持ち出して拒否しました。被爆者をはじめとする市民の願いに背を向けるものといわなければなりません。


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2019年1月24日 (木)

「名古屋空襲慰霊の日」制定の請願項目は継続審議に

市議会総務環境委員会で、東邦高校の生徒会から提出された「名古屋空襲慰霊の日の制定を求める請願」の審査を行いました。同校生徒会会長の道端さんが、「私たち若者が戦争の体験を語り継ぎ、命のバトンをつないでいきたい」と口頭陳情。空襲慰霊の日の制定という趣旨には賛同できるという発言が相次ぎました。

 

問題は、8か月間で60回以上に及んだ名古屋空襲で、どの日を慰霊の日と定めるのかです。名古屋への本格的爆撃が開始されたのは1944年12月13日で、東邦高校では12月に祈念行事が行われています。死者数が最大だったのは1945年6月9日の熱田空襲で、この日に愛知時計電機が慰霊祭を行っています。B29の来襲が最大だったのは同年5月14日で、この日の空襲では名古屋城天守閣も焼失しました。負傷者数と被害戸数が最大だったのは1945年3月19日の空襲、名古屋空襲の最終日は同年7月26日と、だれもが「この日」と納得できる決め手がない状況です。

 

同委員会で私は、「慰霊の日の制定に向けて『幅広い市民の方々とともに話し合っていく』(請願書)、そのことを通じて、日にちについての考え方の合意形成を図っていくことが重要」と述べ、そのことを前提に請願の採択を求めましたが、「名古屋空襲については、市民や各団体の様々な意向を踏まえつつ、慎重に検討していく必要がある」との理由で、「保留」(継続審査)になりました。なお、「空襲に関する資料を整え、全市民が共有できる仕組みを設ける」という請願項目は、全会一致で採択されました。

2018年3月25日 (日)

相生山緑地の米軍爆弾投下跡を見学

Photo 相生九条の会が本日、相生山緑地で戦争中の米軍による爆弾投下跡の見学会を行い、私も参加しました。天白中学校の教員だった時に爆弾跡を調査された三浦明夫先生に案内してもらいました。 

三浦先生によると、爆弾穴は9か所確認できているそうです。そのうちの4か所を回りました。1か所だけは、ボランティア団体の「相生山緑地オアシスの森くらぶ」が案内看板を設置し、周辺の枯木や灌木を整理するなど見学しやすいように整備されています。メジャーで測ってみると、爆弾穴の直径は約10メートル、深さは2メートルほどでした。 

相生山での空襲については、『天白村誌』に「昭和19年12月13日、名古屋市東区大曽根三菱発動機工場への空襲の際、B29の機影をみてより大字野並字境根から戸笠池や鳴海町地内に亘り、千数百発の油脂焼夷弾の落下により、稲架の稲藁の多量を焼失、又山火事を起こした」、「(昭和20年)6月26日、名古屋市熱田船方の愛知時計電機会社爆撃の日、大型爆弾数十発落下により半壊住家三、爆死小児一の被害があった」などと記されています。 

 名古屋市は現在、相生山緑地の整備計画を構想していますが、爆弾穴を戦跡として保全し、後世に残していかなければいけないと思いました。

2017年9月14日 (木)

名古屋市内の戦争遺跡 市教委は103件把握

 Photo市議会本会議では藤井博樹議員が、戦争遺跡の継承について質問しました。右の写真は、名古屋市役所本庁舎の時計塔の外壁。黒ずんでいる部分は、太平洋戦争中、空襲から逃れるために塗られたコールタールの跡です。その下の写真(名古屋市提供)は、1949年に撮影された迷彩が施されたままの市庁舎です。カムフラージュのための迷彩が施された市庁舎の外壁は、1952年に洗い落とされたそうですが、戦後72年経った今なお、その痕跡が残されています。

 

 下の左の写真は、東区にある円明寺の「石の鐘」。太平洋戦争中の金属回収令によって円明寺の銅製の鐘は1942年に供出され、代わりに石の鐘を吊り下げたそうです。戦後、銅の鐘の再建を望む声がありましたが、戦争の記憶を後世に残すため、平和を見守り続けるため、現在も吊るし続けているといいます。全国でも珍しい鐘です。Photo_3

 

 藤井議員はこうした戦争遺跡を紹介して質問。市教育委員会は昨年3月、ガイドブック「学芸員と歩く 愛知・名古屋の戦争遺跡」を発行しています。杉崎教育長は「このガイドブックの作成にあたっては、文献調査とともに、実際に現地におもむき戦争遺跡を把握した。比較的容易に見学できる103件を掲載している」と答弁しました。

 

 この103件の中に、「相生山緑地の爆弾穴」も含まれています。私がこの爆弾穴の存在を知ったのは6年ほど前です。当時は、案内看板などありませんでしたが、その後、相生山緑地で森づくりなどのボランティア活動に取り組んでいる「相生山緑地オアシスの森くらぶ」が、爆弾穴の一つについて案内看板を設置(下の右の写真)。周辺の枯木や灌木を整理するなど見学しやすいように整備しています。

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2017年6月28日 (水)

被爆した県民の証言 戦争資料館で放映へ

 6月26日の市議会本会議で、日本共産党の山口清明議員が「核兵器禁止条約」を踏まえた名古屋市の取り組みについて質問しました。山口議員は、「被爆パネル展や被爆者の証言を聴く会など、被爆体験の継承を柱に核兵器廃絶に向けた取り組みを進めましょう」と提案。これにたいして総務局長は「『愛知・名古屋 戦争に関する資料館』で、愛知県民による当時の広島・長崎での被爆体験談を放映することを予定している」と答弁しました。さらに、「今年の夏までに始めるべきだ」と求めた山口議員に、総務局長は「夏頃を目途に放映できるよう調整を進める。放映にあたっては被爆者の方々にもお知らせしたい」と答弁しました。

 

山口議員は河村たかし市長にたいして、今年の平和首長会議の総会に市長自ら出席することやヒバクシャ国際署名にサインすることなどを求めましたが、市長は「(国に先んじて)空襲被害者への補償を始めた精神でやっていきたい」と答えるにとどまりました。

2017年6月 4日 (日)

核兵器のない世界へ――平和行進天白コース

 Photo今日は名古屋市内の各地で平和行進が行われました。私は天白コースに参加し、出発集会であいさつしました。この後、東海公団自治協の総会に団地自治会長として出席しなければならなかったので、ほんの少しでしたが、青空の下、みなさんといっしょに歩きました。 

 今月15日から国連で開かれる核兵器禁止条約の締結に向けた第2期の会議では、核兵器禁止条約の草案が審議され、採択される予定です。核兵器廃絶に向けて世界は新しい段階に入っています。この動きを妨害している核保有国やその「核の傘」に依存する国々を市民社会の反核平和運動によって包囲しましょう。とりわけ、核兵器廃絶の国連会議をボイコットするという被爆国にあるまじき態度をとっている日本の安倍政権を追いつめ、退場させましょう。

2017年3月11日 (土)

「ヒバクシャ国際署名」の賛同明言しなかった河村市長――代表質問⑤

 代表質問では、河村市長に「ヒバクシャ国際署名」への賛同を求めました。名古屋市も、指定都市では最後になりましたが、加盟した平和首長会議は、昨年11月に開いた第6回国内加盟都市会議総会で、「ヒバクシャ国際署名」に賛同・協力することを表明しました。愛知県内では16の自治体首長が「ヒバクシャ署名」に署名されています(2月12日現在)。

 

私は、「平和首長会議の加盟都市の市長として、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことをすべての国に求めるという『ヒバクシャ国際署名』の趣旨に賛同されるのか」と質問。河村市長は「昨今のミサイル実験もあって、とんでもない話だ。たいへん許しがたい。唯一の被爆国として強く主張したい」と答弁し、署名についての明言を避けました。私は、「北朝鮮のミサイル発射については、日本共産党も強く非難し、抗議した。北朝鮮の核・ミサイル開発への対応という点からも、国連で始まる核兵器禁止条約に関する国際会議の成功が重要となっている」と述べたうえで、「河村市長には、リコール署名にばかり気を取られていないで、核兵器廃絶という人類的課題の帰趨を決める署名にこそ、賛意を表していただきたい」と求めておきました。

2015年8月30日 (日)

戦争法案廃案と安倍政権退陣を!国会12万人、天白区380人余

20150830植田公園で開かれた「やめて!戦争法 天白の会」集会に380人余が参加し、平針駅までパレードしました。集会では20代の青年から軍隊体験のある数え90歳の方まで、戦争法案に反対する思いをスピーチ。30代の女性は、「自公は数の多数で押し通そうとしていますが、数では私たち国民が多数です。私たちの力で廃案にしましょう」と訴えました。

国会周辺には12万人もの人が集まったといいます。国民の運動が安倍政権を包囲し、追いつめています。9月12日にも午後5時から植田公園で集会が開かれます。

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