「名古屋空襲慰霊の日」制定の請願項目は継続審議に
市議会総務環境委員会で、東邦高校の生徒会から提出された「名古屋空襲慰霊の日の制定を求める請願」の審査を行いました。同校生徒会会長の道端さんが、「私たち若者が戦争の体験を語り継ぎ、命のバトンをつないでいきたい」と口頭陳情。空襲慰霊の日の制定という趣旨には賛同できるという発言が相次ぎました。
問題は、8か月間で60回以上に及んだ名古屋空襲で、どの日を慰霊の日と定めるのかです。名古屋への本格的爆撃が開始されたのは1944年12月13日で、東邦高校では12月に祈念行事が行われています。死者数が最大だったのは1945年6月9日の熱田空襲で、この日に愛知時計電機が慰霊祭を行っています。B29の来襲が最大だったのは同年5月14日で、この日の空襲では名古屋城天守閣も焼失しました。負傷者数と被害戸数が最大だったのは1945年3月19日の空襲、名古屋空襲の最終日は同年7月26日と、だれもが「この日」と納得できる決め手がない状況です。
同委員会で私は、「慰霊の日の制定に向けて『幅広い市民の方々とともに話し合っていく』(請願書)、そのことを通じて、日にちについての考え方の合意形成を図っていくことが重要」と述べ、そのことを前提に請願の採択を求めましたが、「名古屋空襲については、市民や各団体の様々な意向を踏まえつつ、慎重に検討していく必要がある」との理由で、「保留」(継続審査)になりました。なお、「空襲に関する資料を整え、全市民が共有できる仕組みを設ける」という請願項目は、全会一致で採択されました。