昨日、「平和堂の不遇な千手観音像を故郷に」という集いが開かれました。1941年、日中戦争の最中に南京市から贈られた千手観音像は、現在、平和公園の平和堂の中に納められており、春秋のお彼岸とお盆の時期しか公開されていません。集いでは、真宗大谷派円光寺住職の大東仁氏が講演され、参加者から「市民に開かれた扱いをしてもらいたい」「南京市に返してあげたい」などの意見が出されました。
平和堂の千手観音像については、30年前に日本共産党の故阪本貞一議員が市議会本会議で質問しています。2007年2月議会では、自民党の桜井治幸議員も質問しており、その時、渡辺緑政土木局長は以下のように答弁しています。
「千手観音像は、昭和16年に、千種区唐山にあった東山十一面観音像を中国・南京に贈った答礼として、南京市長から全日本仏教徒に贈られたものであり、当時の名古屋市長が仏教会長だったので、名古屋市長が代表して受け取ったものである」。「昭和39年に、戦災復興事業の記念施設として、また、第二次世界大戦による多数の犠牲者を追悼し、人類永遠の平和を祈念するという趣旨で建設された平和堂内に、恒久平和と国際親善の願いを込めて美術品、記念品として納められ、以来、名古屋市が管理している。所有者については、不明確のまま現在に至っているが、引き続き調査検討を続けていきたいと考えている」
「千手観音の現状は、100年以上の歳月を経ているので、経年による表面の変化は見られるが、当面、緊急に手当ての必要はないものと考えている。ただ、東海・東南海といった大地震についての対応は必要になってきていると認識している」。「平和堂や千手観音像の歴史や由来については恒久平和を願う心の醸成等にもつながるので、より広くお知らせできるような方法を考えていくとともに、公開回数についても、時期や方法など、さらに検討を加えたい。また、千手観音像の維持管理については、今後、専門的知識のある方に御意見を伺うなどして、地震対策を含め、適切な対応を検討していきたい」
しかし、その後、ほとんど検討が進まないまま今日に至っています。