« 『佐見なつか誌』 | トップページ | 「地球温暖化対策計画書制度」がちょっと強化 »

2011年12月25日 (日)

相生山緑地の米軍の爆弾跡

Rimg0267 相生山緑地のなかに、戦争中にアメリカ軍が投下した爆弾の破裂跡がある。このことを、相生山緑地に隣接する相生山団地に住んでいる私は、緑地のなかを何度も散策しているが、最近まで知らなかった。

「あいおい九条の会」の呼びかけで、1120日に相生山緑地の爆弾跡を巡る催しがあった。爆弾跡を調査してこられた元中学校教師の三浦明夫先生に案内していただいた。相生山緑地の「オアシスの森」の散策路をしばらく歩いたとき、「そこが爆弾跡です」。三浦先生が指差した方向を見ると、雑木林のなかに「すりばち状」の穴があった。やぶをはらって穴のなかに降りた。この穴は、明らかに人為的につくられたものだった(写真は「あいおい九条の会」の松井立夫さんの提供)。

「直径が10m程度、深さが2m程度の爆弾跡です」と三浦先生。同じような穴が、三浦先生の調査では相生山緑地のなかに9か所ある。それを地図に落としたPhotoものが、右の地図の1~9である。

三浦先生は、どのようにして爆弾跡を発見されたのか。

「夏休みに中世の陶器を焼いた窯の跡を探していたとき、菅田のお年寄りに出会い、相生山緑地のなかに戦争中の爆弾の破裂跡があると教えられ、案内していただいた」。「案内してくれた人によれば、『野並の南の鳴海製陶の工場が戦争中は住友の軍需工場だったので、そこをアメリカ軍が爆撃したときに落とされたのではないか。子どもが一人死んでいる。250kg爆弾ぐらいの大きさだと思う。他にも二、三個の穴がある』とのことでした」。

その後、中学校の生徒たちと調査されたそうだ。

 戦争中に相生山緑地とその周辺も米軍機による空襲を受けたことは、『天白村誌』にも記されていることを、三浦先生は教えてくれた。『天白村誌』には、「(昭和20年)626日、名古屋市熱田船方の愛知時計電機会社爆撃の日、大型爆弾数十発落下により半壊住家三、爆死小児一の被害があった」など空襲状況が記されている。

 名古屋天白区は当時、田畑と山林・原野のなかに村落が点在する天白村だった。そんな田舎も米軍の空襲にあい、「稲架の稲藁の多量を焼失、又山火事を起した」(『天白村誌』)というような被害にあっていたのだ。

 民家やマンションが立ち並ぶ住宅地に一変してしまった当地に、60数年前の戦争の跡――相生山緑地の米軍の爆弾跡は、これからも残していかなければならないと思う。「区役所などで作成している相生山緑地のパンフレットにも爆弾跡があることを載せてほしい」と三浦先生はおっしゃった。

« 『佐見なつか誌』 | トップページ | 「地球温暖化対策計画書制度」がちょっと強化 »

憲法・平和」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/582573/53565611

この記事へのトラックバック一覧です: 相生山緑地の米軍の爆弾跡:

« 『佐見なつか誌』 | トップページ | 「地球温暖化対策計画書制度」がちょっと強化 »

フォト
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

他のアカウント

無料ブログはココログ