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2011年12月24日 (土)

『佐見なつか誌』

Photo_2  年末になると私のもとに『佐見なつか誌』というミニ新聞が送られてくる。今年も届いた。その表紙には、私が卒業した上佐見小学校(すでに廃校になっている)の校舎の一部が写った写真が載っていた(右の写真)。ページをめくると、佐見中学校で教えてもらった先生のなつかしい顔もあった。このミニ新聞の発行人は、同中学校OBの茶工場の主人。私の故郷は、白川茶が特産品で、私の父も細々だが茶畑を営んでいる。ミニコミ誌に同封して、お歳暮用のお茶のパンフレットも入っていた。お歳暮用のお茶を注文したことはないが、ミニ新聞は毎年、楽しみにしている。

 今年の『佐見なつか誌』に、次のようなコラムが載っていた。筆者は「佐見川ザッコ」さん。

 「……中学校では演劇部に入りました。演劇部にはこれといった伝統もなかったので、まずは演目から決めなくてはなりませんでした。先生の指導や保護者の協力で、最初の演目は、人形劇で『夫婦杉』を上演することに。人形劇とはいえ、十三、四歳の部員たちで、駆け落ちだ、心中だ、なんて話を題材にして、よくもまあ脚本を書いたものだ」

 覚えている。中学1年生のときだったか、私も演劇部に入って、故郷に伝わる「夫婦杉」という伝説を脚色して人形劇を演じたことを。

 佐見川ザッコさんは続ける。

 「そして次の年、今年は何を題材にしようかと部員全員で話し合っても何も出てこない。文化祭の日は迫りくる。と、そこに『僕が書いてきます』と一人の部員が登場。この部員、勉学もとても優秀。なんと一晩で脚本を書いてきました。タイトルは『上杉君と武田君』。内容はクラスでトップの座を取り合っこしている二人のライバルの物語。ある時、勉強に疲れた武田君が脱落し始める。それに気づいた上杉君がライバルでありながら武田君を励まし、また一緒に戦おうと説得する話を歴史上の人物に重ね合わせた作品だった。へえ、佐見中学校にもこんな話が書ける子がいるんだ。なんとまあ垢抜けた話が書けるもんやなあ、と感心することしきり」

 誰のことかな?「上杉君と武田君」なんていう劇をやったかな?

 「この子はひょっとしたら、小説家とか脚本家とかの先生になるかもしれないな、なんて思ったものです。が、彼はその後、名古屋市の市会議員になられたそうです」

 えっ!ボクのこと。こんなシリアスな脚本を書いた記憶はないがなあ。脚本は二、三日で書いたことはあるけれども、内容は境正章の当時のヒット曲をタイトルにしたコミカルなものだったが・・。「上杉君と武田君」の真相は定かではないが、「佐見川ザッコ」さんの記憶の中には、私のことが鮮明に残っているのでしょう。

 「インターネットで田口一登って検索をかけると、中学時代とちっとも変らない顔で登場します。久しぶり、一登君」

 ありがとう。「佐見川ザッコ」さん。

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